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執筆者の写真Shunya.Asami

【Note 2018】新宿ベルクでの作品展示で感じていること

更新日:2018年6月26日


ベルクへ作品を展示をして感じていることは、ベルク自体に漂っている雰囲気がとても「まろやか」であるということ。

この「まろやかさ」は他ではなかなか感じ取れない。



その元はなんだろうとずっと考え、時間があるときは珈琲やビールを飲みに出かけていると次第にその「まろやかさ」が見えてきた。

通っているとデモ帰りの人と相席で話したり、様々な活動をしている人と意見を交換したりする機会があった。


そこでは皆、日常会話のように政治の話や自分のやっている活動を生き生き話していた。

分けるのであれば〇〇派、⬜︎⬜︎派、A党支持者、B党支持者、右、左という思想となるのだろうが、ベルクではそれらが共生して(本来それが当たり前なのだと考えるが)、皆この店の時間を愉しんでいる。

それが「まろやかさ」に繋がっているように感じられる。


左の翼も右の翼も生えているならその背中を持っているのは人間。


ベルクの前に貼られている「WAR IS OVER!」やジョンレノンのポスターが馴染む。

ある時、通行人から「War Is Over」のポスターにクレームが入った件があったと聞いた。政治的すぎる!という。


今の街や店はデオドラントされすぎている嫌いがあり、〇〇派や⬜︎⬜︎派、左や右といること、またはその匂いを、消毒しなくてはならないぐらいの感覚を感じる。

そこはとてもクリーンであるけれど、大きな不気味さも同時に感じる。

店長さんのツイートも名物だし、バイトの募集の思想自由!という表明もベルクのユニークさだ。けれどそれがユニークだと感じることを振り返って考えてみた時、とても恐ろしいなと感じた。「抗菌された環境」に慣れすぎ、ベルクのような感性に触れられるところが本当に街の中に少ない。

私は作品制作をする時、作品には両極の感覚を感じられるものをつくりたいと考えている。生と死、光と影、希望と絶望、過去と未来、自分と他者、平和と戦争...。

ヒロシマに生きる被爆樹木はそうした両極の感覚を私に与えてくれる。


私はそれをどちらか一方に規定することがないよう心がけ、揺れ動くその両極の幅を旅することができるものを作品としたいと願う。

ベルクに作品を展示し、そのことを強く実感した。

それはベルク自体がそうした両極を内包する器になっているようにも感じる。 それが私が感じた「まろやかさ」の所在なのだと今、思う。


だから今、『呼吸する影』がベルクに展示されているのはとても収まりが良く感じるし何よりも「まろやかさ」の一つとなっていることが楽しい!

作品を見たお客様からの声は双方の意見が何のてらいもなく飛び出す。それはとてもいいことだと思う。


展示は残り1週間。

充実した時間を過ごしたい。




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